【もやよし-21】国領(京王線)

もやよしの原点、それは「行ったことのない街のもやもやを体で吸い込んで、吐き出すこと」——。

皆さまお元気でしたか? 引っ越しも無事に終わったアグネス吉井です。

まだ新生活に慣れておらずバタバタしていますが、月イチのこの活動は休まず続けていきます。

さて、今回降り立ったのは京王線の「国領」駅。

前回のもやよしは、住んでいた街を巡って別れを告げる という(もやよしにしては)かなりエモーショナルな趣向でした。

なので今回は原点回帰、なんとなく渋くて重厚感のある駅名の「国領」に白羽の矢が立ちました。

清潔感があって綺麗な駅舎です。

駅の開業は1913年と意外に長い歴史を持っていますが、

2012年に行われた線路の地下化に伴い、駅舎もリニューアルしたようです。

国領駅 – Wikipedia

Wikipediaによると、国領駅の両端は新宿側と調布側でトンネルの工法が異なるそうです。気になったので、実際に見比べてみました。

こちらが駅のホームから新宿方面を見た景色です。地上から下に向かって穴を掘っていく開削工法で作られたトンネルは、四角い形をしています。

そしてこちらは調布側。シールドマシンを使って掘り進めながら周りを固めていく、シールド工法で作られています。

円筒型のマシーンで地面を横に掘削していくので、トンネルが丸くなっていますね。以上、ちょっとしたトンネル豆知識でした。

さて、話をもう一度地上に戻します。

駅前には広場があり、その周りをスーパーやチェーン店が囲んでいます。生活に不便はなさそうです。

右端に見えるのは、ひときわ大きなタワーマンション「グランタワー調布国領ル・パサージュ」(すごい名前)。

周りはほとんど低層の建物なので、遠くから見てもこのタワーマンションがやけに目立っていました。

まずは、駅を出て新宿方面に向かいます。

もともと線路があった場所が、今は駐輪場になっていますね。

付近には駅前の開発で建てられた新しい住宅と、古い建物とが混在しています。

こちらの地図看板、白井の手で隠れてしまっていますが「平成二十六年三月」と書いてありますね…。とてもそうとは思えない昭和感。

変なスペース。

こんな感じで 切れ端のように余った土地がそこかしこにあり、道が交差する角度もさまざま。

全体の印象としては閑静な住宅街なのですが、なんとなく都市計画に緊張感がない気がします。

謎の斜め。こういうのを見つけると、撮らずにはいられません。

この辺りは特に工事中でゴチャゴチャしています。交通量の多い甲州街道と品川通りをつなぐ道路を作っているそうです。

野川を渡っていると、ちょうど後ろを京王線の電車が通りました。

「野川」という名前の通り、なかなか野性味のある川ですね。

細く入り組んだ仮設通路を抜けて、甲州街道に出てきました。

旧甲州街道と甲州街道の分かれ目。

江戸時代この辺りにあった「国領宿」は「布田五宿(ふだごしゅく)」の一つで、大名が参勤交代の際に宿場として利用していた歴史があります。

布田五宿 – Wikipedia

ただ、通行する大名も少なく、とても小さな宿場だったようです。

さて、甲州街道を離れて、北に向かいます。

のんびり歩いていたら、いつの間にか日が暮れかけてしまっています。随分と日が短くなりました…。

再び野川が姿を現しました。

ここから先は、暗渠のような野川の支流に沿って歩いていきます。

国領商盛会 国領の紹介-まちの記憶-

上記のサイトによると、地元の人にとってこの街は「変わり映えしない」「没個性」「特色がない」という感じだそうです。

そこまで田舎ではないが、都会とも言い切れない…という土地柄は、江戸の時代から続いているようです。

駅前の開発が進み、世帯数も増えて利便性が上がるにつれ、こういう畑なども徐々に消えてしまったりするのでしょうか。

すっかり日が暮れてしまいましたが、目的地に辿り着きました。

この小高い山は「国分寺崖線(こくぶんじがいせん)」の一部。ここで標高が10メートルほど上がります。

国分寺崖線とは、多摩川が10万年以上かけて削り出した、東京の立川から田園調布まで20キロに渡って続く崖の連なりです。

真っ暗な土の階段を恐る恐る登ってみると、小さな広場に出ました。

どうやらここは「深大寺自然広場」の一角で、小さなキャンプ場になっているようです。

鬼火が揺らめいているようで、かなり怖い動画になりました。2人以外の「何か」が映っていたりしなければ良いのですが…

さて、日がとっぷりと暮れてしまったので、駅に戻りましょう。

夜になっても、あのタワーマンションはどこから見ても目立ちます。

あれだけ高いところに暮らすと、体はどういう感覚になるのでしょう。アグネス吉井は2人とも高層に住んだことがないので全く想像がつきません。

たとえば昔の人が編み出した風水も、あれだけ大地から離れて人間が生活することは想定外だったのではないでしょうか。

最近引っ越したということもあり、住む場所や環境によって人間の身体感覚や性質がどんな風に変わるのか、とても興味があります。

甲州街道は夜もたくさんの車が行き交っています。

今さらになりますが、国領という地名は奈良時代〜平安時代に朝廷の直轄地であったことが由来だそうです。また「国領商盛会」は50年以上も続いているそう(Webサイトのコンテンツがかなり充実していてすごい)。

変わり映えがしない典型的な郊外…なんて言いながらも、時代の変遷に合わせてマイナーチェンジを重ねつつ、守るところはしっかり守って強かに生き残ってきた、そんな「しぶとさ」を感じる街でした。

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