「こんな坂道ばっかりの町に、住んでる人の気がしれない」
そう思っていても、いざ住んでしまえば 坂があるのが当たり前になり、ついには大変さを忘れてしまったりするものです。
踊場(おどりば)は、戸塚の隣駅。猫の踊り場伝説、猫たちがこの地で踊っていたという可愛らしい民間伝承が駅名の由来です。
アグネス吉井はダンスユニットなので、良い駅名だな〜(でも遠いな〜)と以前から気になってはいたのですが、今回おもいきって足を伸ばしてみました。
駅構内のいたるところに、可愛らしい猫マーク。
ネコたちの霊の供養塔には、招き猫が並べてありました。
踊場駅は横浜市戸塚区と泉区のちょうど境目に位置し、四方を坂に囲まれています。
さっそく急な坂道を登って、
踊場公園にやってきました。
これだけ広ければ、猫も人間も踊り放題ですね。
ログハウス「ニャンぱく砦」の張り紙によると、この日は近隣小学校が(おそらく運動会の)代休だったようで、街のあちこちに子供たちの元気な声が響いていました。
動画を撮影していたら、子供たちから
「あ!インスタ映えだ!!!」と言われました。
付近には比較的新しい戸建の家が多く、子ども連れの若い家族が住んでいそうな雰囲気です。
家がたくさん建つ前は、きっと広大な農地だったのではないでしょうか。
道を歩いていると、あちらこちらに空き地や畑が顔を出します。
さて、戸塚高校の裏手にある汲沢団地にやってきました。
ここには昔、戸塚競馬場という民営の競馬場があったらしいのです。
この道がおそらく最終のストレート。観客席との高低差はそのまま残っています。
戦後混乱期もにぎわったという戸塚競馬場の歴史を教えて! – [はまれぽ.com] 横浜 川崎 湘南 神奈川県の地域情報サイト
この場所に移転してきたあと、競馬場としては5年ほどしか営業されなかったそうですが、かなりの賑わいだったらしいです。今ではコースの跡が道路として残るのみで、記念碑なども特に見当たりません。
さて、また急な坂を登っていきますが・・・
ちょっと・・・・傾斜が・・・・エグいですね・・・・・
この坂の多さとニュータウンっぽさに KEKEは故郷の八王子を思い出したそうで、郷愁を刺激されたのか「この街、フジファブリックっぽい」と言っていました。わかるような、わからないような。
白井は白井で、こんなに坂が多い街はごめんだ!と根をあげていましたが、6歳まで住んでいた家は急な坂の中腹に建っていたことを後から思い出しました。住んでしまえば、案外どうってことないのかもしれませんね。
さて、息も絶えだえ、汗だくになりながら、どうしても行きたかった場所がコチラ。
在日米軍 深谷通信所 跡地です。
みてください、この真ん丸な敷地!
2014年に日本へ返還され、現在は国有地になっています。
なーーーーーんにもない、見渡す限りの原っぱ。
(※立ち入り可の場所で撮影しています)
良い木があったので、沿ってみましょう。
米軍の敷地になる前は、旧日本軍の通信基地だったそうです。
こんなに広い円形の土地が、よく確保できたな、と思います。
これほど広い土地が確保できたのも、戦前のこの場所があまり開発されていなかった証なのかもしれません。
今年に入ってからの「もやもやアグよし」では、アースダイバー的な視点を心がけて、その土地に古くからある霊的スポットの名残を味わうなどして来ました。ですが、今回の「踊場」で見つけることができたのは、戦前・戦後の足跡のみ。ドロドロした要素の少ない、アッサリとした土地柄だったな〜と思いながら帰路につきました。
しかしどういうわけか、その晩は2人とも悪夢にうなされたのでした。
踊る猫の霊に憑かれちゃったかな・・・。
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