若松河田。ワカマツカワダ。
「マツモトキヨシ」と同じイントネーションで読んでいましたが、大江戸線の車内アナウンスの発音は「浜崎あゆみ」でした。
そんな若松河田、2000年に開業した比較的新しい駅です。名前の通り若松町と河田町の間にあり、駅の出口も若松口と河田口の2つに分かれています。
まずは「若松口」の方から歩いてみることにしましょう。
今回もやはり、めちゃくちゃ暑いです。灼熱のコンクリートジャングルからお送りしています。
この辺りは大きな通りに挟まれて細い路地がいたるところにあり、
そこに身を寄せ合うようにして住宅や公園が建っています。
こういう、ちょっとした高低差が気になります。
大久保通りを渡った先は、戸山町です。この坂をずっとくだっていくと、早稲田大学のあたりに行き着きます。
で、こちらは若松河田駅の「河田口」。この駅出口の隣に、
小笠原伯爵邸 というカッコイイ建物がありました。
1927年に建てられ、現在は高級スペイン料理のレストランになっているそうですが、訪ねた時はまだ営業時間外でした。
駅周辺はかなり人通りが多かったのですが、この邸宅の敷地内だけは静かでゆったりとした時間が流れていました。
駅の西側に歩いて行くと、建設中の道路(環状4号線)がありました。
大きな道路ができる途中の中途半端な姿に、興味津々です。
土地の高低差に合わせて、高架の道路と坂道や階段が複雑に入り組んでいます。
ここもまたきつい坂のそばに、出世稲荷神社なるものが。
そして、その奥には「余丁東児童遊園」がありました。
遊具のデザインといい、園内の高低差といい、
アグよし的にはかなりエキサイティングな公園でした。
叶うことなら、ここでアグネス吉井の公演をやりたいくらいです。
観客は回遊型にして、色々な場所で同時多発的にダンスが発生しているような・・。妄想が膨らみます。
さて、児童遊園から抜け出して、再び造成中の道路に戻ります。
大通りよりも、ちょっとした小道の方に惹かれるのが「もやよし」。
湧き水のように、ちょろちょろと細い道に入って行きます。
そして、ここが道路を作っている途中の現場。
マップの真ん中、出世稲荷の左側を縦に走っているのが造成中の道路です。
現在工事中の南半分は、マップが空白になっています。
さて、大通りに出てきました。コンビニでの休憩を適宜はさみつつ・・・
魂が抜けてますね。
あっ!これがあの発明学会・・・!!ここにあったのか!
(発明学会とは、本家モヤモヤさ○ぁ〜ずに何度も登場している正真正銘のもやもやスポットである)
さらに坂を登ると、抜弁天(ぬけべんてん)の交差点に出ます。
こちらは抜弁天厳嶋神社。
なぜか洋館が建っています。
この神社、案外由来が古く、白河天皇の時代だそうです。また徳川綱吉の時代には、この付近に「生類憐れみの令」による犬小屋が建てられたそう。
境内には、管理の行き届いた小さな池がありました。
さて、そろそろ暑さも限界になってきたので、
最後に「梯子坂」を見に行きましょう。
白井の愛読書「タモリのTOKYO坂道美学入門」にも載っている、由緒ある坂です。
住宅地とお寺の墓地の間に「梯子坂」はありました。
この坂も江戸時代からあるそうです。その頃から、この狭くて激しい高低差をなんとか馴らした上に人々が暮らしていたんだなぁと、江戸の坂道に思いを馳せました。
今回のもやよしは、猛暑の強い光のコントラストの中を漂うような旅でした。
写真を見返すと、なんだか白昼夢のような雰囲気のものも。
雲ひとつない夏の空の下、
ふらふらと、街の隙間に、半透明な存在として入り込んでいきました。
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